立野駅を出発してすぐに、大きな赤い橋を渡り美しい渓谷を通り抜けます。
その赤い大きな鉄橋が新聞記事になっていましたので、ご紹介します。
2012年、日経新聞「アプローチ九州」より
霧に包まれ、しっとりと赤茶色に輝く橋は大陸的な風格を漂わせていた。
細い鋼材を組んだ構造が醸し出す繊細かつ安定感のある美しさ。
スイッチバックで有名な立野駅から南阿蘇鉄道に乗れば最初に渡るのが、この
立野橋梁である。
(中略)
橋は、いくつもの橋脚で支えられている。うち三本は鋼材ややぐら状に組み
上げたもの。そのうえにガーターという鉄の橋げたがのる。このような形式をスレッスル
橋と呼ぶ。2010年まで山陰本線にあった旧餘部橋梁も同じ構造で、日本を代表する
美しい鉄道橋として知られた。その設計は日本でなされたが橋梁の鋼材は
アメリカン・ブリッジ社からの輸入品。明治時代のこと、日本の製鉄技術はまだまだ
近代化の途上にあった。
立野橋梁は1928年に竣工している。このころの土木構造物や建物を見ると
良い材料と優れたデザインが際立っていて、幕末、明治期に学んだ技術が大正、
昭和初期に花開いた近代化の歴史がうかがえる。
橋には架けられる地形や用途によって様々な素材や形状がある。トレッスル橋は
立野のような谷をまたぐ地形に適していたが、コンクリート橋の発達で姿を消しつつ
ある。高さ34メートル。橋脚に近づくと圧倒される迫力だ。 (砂田光紀)
本日、近くで見ると確かに迫力満点で、近くを(写真奥)の水力発電の音は滝のようで
さらにド迫力です。
立野駅から少し歩けば、この橋を近くで見ることができます。
南阿蘇鉄道を待つ間、ちょっと足をのばしてみてはいかがでしょうか。
線路上からはこのような風景です。
以前、ご紹介しました「みなみあそくらしめぐり」。
参加したいのですが、なかなかこの繁忙期に出向くことができず
何年も経ってしまいました。
そんなわたくしのかわりに、コハルちゃんが体験してレポート
してくれました。
これ以降は、コハルちゃんの詳しいリポートです。
こんにちは、おいしいものとたのしいことがダイスキなコハルです
そろそろ冬支度の準備に入ろうとしている南阿蘇ですが、
今の季節にぴったりの催しがいろいろあるってご存知でしたか?
中でも注目は五感で南阿蘇を体感しよう!という「みなみあそくらしめぐり」。
さろく・ふるる・きこか・たぶるのジャンルがあります。
日頃、車の移動に慣れきっている私としては、こんな機会でも
ない限り村を歩いてみて回るなんてことは思いつきもしないので、
同じような仲間二人(ふみえちゃんとまりちゃん)を引き連れて「さろく」に参加してみました。
もちろん、一番の楽しみは参加料に含まれている“おもてなし料理”です
10月27日(土) 午前10時 両併ゆめひろば集合
「さろく」は全部で11コース。今回参加したのは「両併さろく」です。
地元住民ガイドは二子石孝雄さん。自前の杖を持参して意気揚々です。
参加者は私たちやスタッフを含め13名。今にも雨が降りそうなのは、やはり雨女の私のせい?
棚田や白川の源流を眺めつつ、阿弥陀座像を拝む2時間程度のコース。歩けるか!?私。
棚田は戦国時代の阿蘇のお殿様の命令で段々畑に水を引き入れ改田したのが始まりだそう。
いま山間地では、高齢化や後継者不足が深刻な問題。水田が荒れると景観が悪くなる、
洪水が起こりやすくなる、湧き水(涵養水)が少なくなるなど困ったことに
現在、都市部の方を中心にオーナー制度を設け、地元の農家と協同で水田を維持していこう!
という試みが進められています。その名も「農家お助け隊」。
細川元首相の奥方もこのプロジェクトに賛同して娘さんと共に汗を流したそうですよ
⇒ 衛藤 邦子 (02/21)
⇒ 曽木由美子 (10/04)
⇒ 冨永 裕之 (07/13)
⇒ 衛藤邦子 (05/16)
⇒ 恵mi (05/11)
⇒ 後藤仁美 (05/04)
⇒ 村田 朋世 (04/30)
⇒ 吉村大輔 (04/26)
⇒ 福岡在住 (04/22)
⇒ 飯塚幸男 (04/22)